おつかれさまの国
これはなかなかの名曲だと思う。
僕はこういう曲が好きだし、こんな感じの曲を作りたいと思っている。
なんとなく斉藤和義のキャラクターとか脱力感というかそういうのが自分には合っている。だからといって、僕が彼になれるわけでもないし、彼のように曲は作れない。
僕のキャラクターの方向性として少し参考になると思っている。
でも僕は僕だし曲を作っていく過程で彼のような曲ができたら嬉しいと思う。
僕はまだちゃんと曲は作ったことないのだが、なんとなく作るのではなく、しっかりと自分の伝えたいことがあると思うからそれを目指したいとは思っている。
結局は自分のためにやっているのだから、周りの反応は後からついてくるとは思っている。でもそれで喜んでもらえるなら嬉しい。
今の時代
今の時代は目まぐるしく価値観が変わってる時代だと思う。
どの時代もそうであったと思うが、今の時代はインターネットという情報媒体が世界中をつなぎ合わせ、情報量は多くなってきてる。
それに加え、日本では少子高齢化が進み社会問題となってきてる。
これは、もう15年くらい前から言われてきたことで、どうも歯止めが効かなくなってきているようにも思える。
僕はこの時代に生きていかなければならない。
どの産業も衰退期を迎え、ものは売れなくなってきており、嬉しいニュースは流れることも少ない。
ものは捉え方次第と言うが個人が豊かになっていても、社会全体が良い方向に進んで着ることもあまり感じられなくなっている。
しかし、IT技術の発展こそ、世界の発展に繋がってくるのではないかと思う。
情報社会の中で上も下もない世界。
そんな世界があってもいいのではないかと思う。
でも現実は皆が平等とはいかない世界が成り立っており、社会全体が平等であるとは言い切れないと思う。
生まれながらにして、その人の生きていく環境は違うわけであり、その人自身だけの問題ではないが自分自身の捉え方重要になるのかと思う。
僕は小さいころからそれにとても疑問を抱いていた。
うちの実家はそれなりに経済的に豊かでやりたいことはなんでもやらせてもらっていた。
他方、同じ学校にはそうでもない人がいた。それに対し、文句を言って、自分を納得せる友人がいたり、同級生の中には犯罪ギリギリのことをやる人もいた。
僕はそうではなった。
なるべく人の前に出ないように真面目に、物事を取り組み一生懸命やる。これだけが僕の支えだった。
そういう人がいたり、僕みたいな人がいたり何か不自由な点があると思うこともあった。僕はそんなことを考える青年だった。
だから、一生懸命何かをすれば報われる、何かやり続ければいいことがある、そう思っていた。
でも、今はそうともいかないことが多い。
真面目に一生懸命やっていてもいいことが起きることもあるが、そうでないことも起きる。
だから、一生懸命に生きなくてもいいのだと伝えたい。
僕は何もかも頑張りすぎていた。
そんな思いがある。
僕はそんな思いにいる人に頑張らなくてもいいよと伝えたい。
全ては、人間の思考に支えれているのであり、それは言葉によってきまる。
僕はそういう青年だったから、何をするにも一生懸命だった。
でもそれは違ったのだとやっとわかった。
言葉では伝わりづらいが、僕は一生懸命やらなくてもいいのだとわかった。
何も適当にいい加減にやる、それが今生きている理由でもあるのだと。
それは社会全体がどうであろうと関係ない。
僕は僕だ。僕でしかない。
僕でいいんだ。
と自分を認める。それができた。
それにやっと気づいた。それがわかっときやっと自分を認められた。
でもそれがわかっても自分として僕は生きていくのである。
社会の中で生きていくのである。
僕はそれがわかった。
しかし、社会全体はわからない。
僕は僕でいい。それはわかった。しかし、社会全体の人がそう思えるかどうかはわからない。でも僕は僕の道で生きて生きたい。
僕は僕でいいんだから。
楽曲 君がいた夏
僕は、趣味でギターを弾き語りすることがあるのですが、僕がギターを始めるきっかけを与えてくれたグループがあります。
それがMr.childrenです。
僕が彼らの奏でる演奏を聴くと感動する時があります。
それはボーカルの桜井さんの声にしても全体が奏でる曲がなんとも言えない感情になる時があります。
言葉にならない思い、そんなものが伝ってくる気がします。
今後Mr.childrenの曲の内容を分析して、いろいろコメントして行きたいと思います。
今回の楽曲は、デビュー曲「君がいた夏」です。
この曲はデビュー曲で、恋愛の曲だと思います。
ボーカルの桜井和寿さんがほとんどの楽曲を作詞、作曲しているのですが、この曲は
サビの部分で最後、叫ぶようにOh I miss youと声を高らかに歌う場面があります。
これは、Mr.childrenの歌い方を最小限に究極的に表現していると思います。
この、高い音程をハイトーンボイスで表現するのは、今までのグループの基礎になっているかもしれません。
やはり、デビュー曲というのは、そのグループの基礎となるの間違いないのではないでしょうか。
エッセイや詩、ギター
ブログを始めた理由としてもう一つあってそれは物書きをしたいという思いがあったからだ。
エッセイや詩などを書けるようになりたいと思ったからだ。
書くことは自由だ。
書き続ければ何か起きるかもしれないという淡い期待から僕は日々のことを綴っていこうと思う。
ただ単に自分のためにしていきたいと思う。
自分のエッセイや詩をブログに積極的に公開していきたいと思っている。
また、趣味で音楽(ギター)も弾いていて、こちらも何か将来的にできるようになれたらなと思っている。
客観と主観
僕がブログをかきはじめたのは、自分のことを客観的に捉えられるようにするようにするためだ。
客観的と言ってもどういったことなのか僕はこの意味が昔からわからなかった。
また、それに対する主観的とはどのような意味なのかもわからなかった。
でもこの頃、客観的と主観的がどのような意味なのかなんとなくわかった気がした。
僕が思う客観的とはそのこと自体に対する“動き”みたいなものと捉えている。
例えば、僕がパソコンでブログを書いているが、キーボードを打ってブログを書く“動き”というのは客観的なものであると考えられる。
それに対し主観的とは個人が持っている心情や思いみたいなものと捉えている。
例えば、僕がパソコンでブログを書いているが、このキーボードを打ってブログを書く裏には“心情や思い”みたいなものがあると考えられる。
このように、自己の動きそのものを客観、自己の内面を主観と捉えることにより、客観と主観の違いがわかりやすくなると思う。
僕はこの対比を自分の中でうまく取り入れることが大切だと思う。
文章を書く上で重要なのは客観的に物事を捉え、言葉にできるかどうかという点だと思う。
単に、自分の感情や思いだけを書いても伝わりづらいだろう。
客観的に日常の風景や出来事を書いてなんとなく読者が感じてくれたら嬉しいです。
suzu
はじめまして
はじめまして
はじめまして。suzuです。
本日よりブログを始めたいと思います。
自分の考えていることをまとめるためのツールとして使えていけたらと思います。
よろしくお願いします。