今の時代

今の時代は目まぐるしく価値観が変わってる時代だと思う。

 

どの時代もそうであったと思うが、今の時代はインターネットという情報媒体が世界中をつなぎ合わせ、情報量は多くなってきてる。

 

それに加え、日本では少子高齢化が進み社会問題となってきてる。

 

これは、もう15年くらい前から言われてきたことで、どうも歯止めが効かなくなってきているようにも思える。

 

僕はこの時代に生きていかなければならない。

 

どの産業も衰退期を迎え、ものは売れなくなってきており、嬉しいニュースは流れることも少ない。

 

ものは捉え方次第と言うが個人が豊かになっていても、社会全体が良い方向に進んで着ることもあまり感じられなくなっている。

 

しかし、IT技術の発展こそ、世界の発展に繋がってくるのではないかと思う。

 

情報社会の中で上も下もない世界。

 

そんな世界があってもいいのではないかと思う。

 

でも現実は皆が平等とはいかない世界が成り立っており、社会全体が平等であるとは言い切れないと思う。

 

生まれながらにして、その人の生きていく環境は違うわけであり、その人自身だけの問題ではないが自分自身の捉え方重要になるのかと思う。

 

僕は小さいころからそれにとても疑問を抱いていた。

 

うちの実家はそれなりに経済的に豊かでやりたいことはなんでもやらせてもらっていた。

他方、同じ学校にはそうでもない人がいた。それに対し、文句を言って、自分を納得せる友人がいたり、同級生の中には犯罪ギリギリのことをやる人もいた。

僕はそうではなった。

なるべく人の前に出ないように真面目に、物事を取り組み一生懸命やる。これだけが僕の支えだった。

そういう人がいたり、僕みたいな人がいたり何か不自由な点があると思うこともあった。僕はそんなことを考える青年だった。

 

だから、一生懸命何かをすれば報われる、何かやり続ければいいことがある、そう思っていた。

 

でも、今はそうともいかないことが多い。

 

真面目に一生懸命やっていてもいいことが起きることもあるが、そうでないことも起きる。

 

だから、一生懸命に生きなくてもいいのだと伝えたい。

僕は何もかも頑張りすぎていた。

そんな思いがある。

 

僕はそんな思いにいる人に頑張らなくてもいいよと伝えたい。

 

全ては、人間の思考に支えれているのであり、それは言葉によってきまる。

 

僕はそういう青年だったから、何をするにも一生懸命だった。

でもそれは違ったのだとやっとわかった。

言葉では伝わりづらいが、僕は一生懸命やらなくてもいいのだとわかった。

何も適当にいい加減にやる、それが今生きている理由でもあるのだと。

 

それは社会全体がどうであろうと関係ない。

僕は僕だ。僕でしかない。

僕でいいんだ。

と自分を認める。それができた。

それにやっと気づいた。それがわかっときやっと自分を認められた。

 

でもそれがわかっても自分として僕は生きていくのである。

社会の中で生きていくのである。

僕はそれがわかった。

 

しかし、社会全体はわからない。

僕は僕でいい。それはわかった。しかし、社会全体の人がそう思えるかどうかはわからない。でも僕は僕の道で生きて生きたい。

 

僕は僕でいいんだから。